成立ち
一八六八年頃
撮影者不明の一枚
現在は横浜開港資料館に保管されている
ペリー二度目の来訪時
尾道を訪れた米人商人と外交官が
要所のひとつと撮影し国外に持ち出そうとした貴重な記録
江戸幕府が水際で流出を防ぎ
いまに残る
手前の向島と本州をへだてる尾道水道は
今も昔も変わらず
多くの旅人の象徴的な一枚として残り続ける
一八六八年頃
撮影者は不明
尾道水道の記録写真とともに
横浜開港資料館に保管されている
海から千光寺が建つ大宝山をのぞむ貴重な一枚
鉄道が開通する明治二十七年まで
人の手を入れることができない聖地とされていた
大宝山の姿がよく分かる
海上には
物流の要を担う北前船が停泊し
寄港地としての様子もうかがえる
帆をかかげた船は菱垣廻船
米を中心に生活物資を運び右側に見える弁才船とともに
ひとびとの暮らしを支えた
一八六八年頃
撮影者は不明
貴重な海運資料として
横浜開港資料館に保管されている
生口島瀬戸田沖に停泊中の記録と考えられている
長らく続いた鎖国時代の中でも経済的発展を遂げられたのは
海運の力によるところが大きい
尾道も北前船の興隆とともに
港の埋立 築調が盛んになった
当時を映した貴重な一枚に
港の賑わい 夜を彩る花街の喧騒へと
思いをはせる